日頃の臨床でなかなか解らない事。
それは患者様の「気持ち」。
以下の文章は、大塚ひかりさんの「歯医者がこわい。」(平凡社新書)から、自己を戒めるためにその一部を抜粋させていただきました。
元は縦書きだったのを、ブログの都合上横書きにさせていただきました。
悪しからず御了承下さい。
「何をされているかわからない」
歯医者にかかるのは拷問と同じだ。
いや、さすがに拷問にはかかったことがないから、正確に言うと、おそらく拷問とはこんなものだろうと思われるような・・・・・・。
椅子を倒されて、口を恥ずかしいほど開けさせられて、痛くても痛いと言えないから、
「手を上げてください」
などと言われ、手を上げても、
「もう少しですから」
などと言われる。だからと言って抵抗もできない。
なにしろ歯という骨より硬いものを削っているのはダイヤモンドである。金剛石である。そんな恐ろしいもので歯を削られて身動きでもしたら、口の中が切れてしまうに違いない。
もう歯医者のなすがままになるしかないではないか。
歯を抜こうものなら、ヤットコのようなものでギシギシやられる。埋まっている歯は歯茎を切って、トンカチか何かで割られて、えぐるように取り出される。口の中にはぬるい血があふれ、鼻にも回る。注射したり、時には何かでじゅっと焼いたり、神経を殺す薬など入れられた日には、歯の神経たちがひぃいい、ひょえぇぇと、断末魔の苦悶の声をあげ、レキソタン(鎮痛剤)の効果も二時間ともたない。
すこぶる残虐にしてグロテスク、非日常的なことが、口腔という、デリケートにしてエロティックな空間で引き起こされ、その粘膜はいやおうなしに引き裂かれ、傷つけられるのだ。
そんな歯医者が好きな人はそうはいないと思うが、私はもともと歯医者は好きではなかったものの、歯を削るのもさほど怖くはないし、注射も我慢ができた。しかし七年前の口腔心身症の発症以来、歯医者がこわくなってしまった。
それは拷問的な歯医者での仕打ち(っていうか治療)が怖いのではなく、次に何をされるのか分からないという、
「歯医者への不信感」
と、何より自分の歯の症状が歯医者では治らないことによる、
「自分の体感への不信感」
ゆえに、歯医者が怖くなってしまったのである。多くの歯医者嫌いも、型取りがイヤとか注射が痛いとか色々理由はあろうけれど、最大の理由は、やはりこの「何をされているのか分からない」という不信感であろう。
忙しい臨床の中で、ついつい患者様を「こなすこと」を優先してしまわないよう、少しでも安心して治療を受けていただけるよう、以上の文章を肝に銘じ、
スタッフからの「ていねいな説明」を徹底し、
患者様からは「いつでも、なんでも質問」をお受け致します。
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