久々に京都に行ってきた。
紅葉が目当てではなく、オジンくさいが、なんと仏像を見にである。
「仏像彫刻ってちょっとシブイなあ」と思って、彫り方を教えていただけるという、京阪三条の「松久宗琳仏所」を見学。
そこから四条と五条の間の六波羅蜜寺を目指したが、途中に臨済宗大本山「建仁寺」があった。
これが非常にラッキーで、本当に素晴らしかった。
有名な国宝「風神雷神図屏風」は思いの外かなり小さくて、風神雷神もどちらかというと可愛い顔をしている。
その国宝が、部屋の隅に、前に簡単な柵を置いただけで無用心に立ててある。
もちろんガードマンはいないし、ちょっと跨げば触れる距離にである。
なんとも鷹揚なお寺である。
だがもっと素晴らしいのがあった。
禅寺の庭だった。
1つの部屋の両端に2つの掛け軸。
その両側に趣を異にする2つの庭。
何がそうさせるのかは分からないが、何かを感じるべく、自然と庭に向かって静かに座ってしまうのだ。
これほど心を鎮めるのは何だろう。
もはや参拝者のざわめきは聞こえず、穏やかな心に小鳥の声だけが聞こえる。
これが禅の心なのか・・・
これは圧巻で、ほとんど明かりのない法堂の天井に、2匹の龍が踊っている。
建仁寺で思わず禅の心(雰囲気?)に触れ、すっかり文化人・風流人になりきったまま、小雨の中、六波羅蜜寺に向かった。
なぜか「長崎わぁ~~今日ぉも~~雨ぇだったぁ~~」と口ずさみながら。
ダメだこりゃ・・・
ほどなく着いた六波羅蜜寺は、今は幼稚園のような造りの小さなお寺になっているが、平清盛・重盛の頃は広大な寺領を構えていたそうだ。
宝物殿は充実していて、開祖の「空也上人立像」(例の口から小さな6体の阿弥陀様が出ている像です)をはじめ、全部で国宝1つ、重要文化財14体がすべて身近に見られる。
お目当ては運慶作の「地蔵菩薩坐像」。
珍しく頭はツルツルではなく、2・3分刈り位の生え際が彫りこまれている。
若い時のお地蔵さん?
お地蔵さんにも歳があるんか???
いやこれはきっと誰かモデルがいてるで。と下衆のかんぐり。
またなるほど松本明慶さんが書かれていたように、法衣の下に座禅を組まれた右足親指の膨らみが感じられ、写実的であればあるほど、モデルの存在が・・・
驚いたのは、空也上人・運慶・湛慶(運慶の長男)・平清盛らの像が非常に写実的に彫られ、みんな痩せていたこと。
仏像と対照的だ。
当時の日本人はほとんど栄養失調で、仏像のあのふくよかさが憧れだったのかもしれない。
運慶の手の大きさにも驚いた。
間もなく狭い宝物殿に10数名のおばあさんの団体が入ってこられ、説明を聞くために座り込まれて満室状態。
そそくさと退散。
最後の目的地、東寺を目指した。
東寺は京都駅の近くにあるとても大きなお寺だ。
空海が嵯峨天皇から賜り、修行の場としての高野山に対して、真言密教の京都における布教の場、あるいは政界・仏教界における空海の拠点であったと思われる。
境内の約3分の1を占める金堂・講堂・五重塔のエリアに入るのには拝観料が要る。
薄暗い建物の中にはたくさんの仏像があり、見る者を、その大きさ・精密さ・そして古さ(歴史)で圧倒している。
当時の人にとっては、信じられないくらい大きな建物、大きな空間だっただろう。
真言密教の大きな力、おそらく恐怖さえ感じたのではないだろうか。
参拝者の多くが無言で仏像の前にたたずみ、あるいは壁際に腰掛けて、しばし仏像と対話している。
細かい格子窓からわずかに差し込む光が暖かく、心を穏やかにしてくれる。
思わず「ギャーテーギャーテー ハラギャーテー ハラソウギャーテーボージー ソワカ 般若心経ー」と、般若心経の真言(マントラ)を唱えていた。
ただ有料エリアの向こうの南大門近くでは、スピーカーをガンガン鳴らして全国の踊りフェスティバルをやっていたが、それはいかがなものか・・・
さてここでのお目当ては、講堂の立体曼荼羅に配置されている仏像の一つ「持国天」だ。
なるほど他の天部(梵天・帝釈天・多聞天・増長天・広目天)に比べてもいっそうリアルで、忿怒(フンヌ)の表情がすばらしい。
だが、ちょっと待て~ぃ!
何かおかしいぞ!
「持国天」の左足の脛から下が妙に貧弱やぞ~
あれ~なんやこれ!!!
左足に右足の靴履いてるぞ???
そう言や左手に持ってる剣も、もっと大きくてもええなあ・・・
ほかのパーツに比べてちょっと新しそうやし
何か変・変・変???
とまあ、最後に疑問を残した芸術の秋であった・・・
コメント