今日は遍路をしていて感じたことを、思い出して書いてみようと思います。
遍路に出ると、ほとんどテレビやラジオの音を聞くことがありません。
ましてや歩いている間はほとんど一人ですので、終日自分とのマインドトークに明け暮れていますが、意識を外に向けてみると、そこにはすばらしい世界があります。
旧遍路道という、いわゆる舗装道路にできなかった急な山道を歩いている時などは特にそうで、梢を揺らす風の音、小川のせせらぎ、鳥たちのさえずりなど、日常生活では気にも留めないような小さな音たちに気付くのです。
太龍寺で出会った「保健室の美人先生」にもお話したのですが、普段都会で暮らしていると、いろんな人工的な音に囲まれ、またそれらの音をまるで中毒のように習慣的に聞いてしまっています。
でもテレビやラジオを消して、ちょっと耳を澄ましてみると、意外に静かな、音のしない音、言い換えれば静けさを聞くことができます。
そしてそれらの音は、心を静めてくれます。
音のしない音、静けさという音があるんやな~。
お遍路をしながら、たまにはそんなことを考えています。
キナコさん、コメントありがとう。
わかっていただけた人がいて、ほんと嬉しいです。
歩き遍路をしていると、なぜか心が静かになるんですね。
お会いできるのを楽しみにしています。
大学院がんばってください!
投稿情報: む~ちゃん | 2008年6 月 8日 (日) 02:22
訪問させていただきました!
実は、私、大学が四国だったので、選んだ卒論がなんと徒歩遍路だったんですよ(全行程ではないですが)。
音のしない音、素敵な表現ですね。
ほんとそんな境地になったのが懐かしく思い出されました。
道中出会われた保健室の美人先生が私じゃなかったのは残念(笑)…同業なので。またゆっくり遍路話しましょうね。
投稿情報: キナコ | 2008年5 月30日 (金) 23:04