今日は、予定では一番短い距離(22.4キロ)を歩く事になっている。
半日で行ける距離なのだが、一度宿坊らしい宿坊に泊まりたくて、23番薬王寺までとしたのだ。
宿坊の本来の姿とは?
実は24番最御崎寺や26番金剛頂寺にも、泊めていただけるかどうか恐る恐る電話してみたのだが、「あんた何考えてんの。正月にやるわけないでしょ。」と言わんばかりに、けんもほろろに断られた。
24番最御崎寺などは、「遍路センター」という名前まで付けているのにである。
それでなくとも正月には休んでいる民宿もあり、宿坊に断られると旅程を変更せざるをえず、お遍路にはつらい正月なのだ。
お寺といえども「御商売第一」ということで仕方のないことかも知れないが、あんな言い方はどうかな~?
「泊めてくださいませんか。」という、低姿勢の者に対し大きな態度。
いや逆に、こちらが低姿勢だからこそ、大きな態度になったのか・・・
いずれにせよ「人の振り見て我が振り直せ」である。
小生は急患は断らないことにしているが、「『診てもらえませんか?』と言われる患者さんに、スタッフ全員がくれぐれも失礼のないようにしなければ!」と肝に銘じた。
でも返っていい勉強になった宿坊の宿泊拒否であった。
「いやしの道」へ
さて、山茶花のおかみさんに送られ、7時20分にやっと出発した(金剛杖を忘れて、あわてて取りに返った。)。
気温は4℃だが、上下とも2枚しか着ていない。
サーモブレスのウィンドブレーカーは本当にスグレモノである。
この冷気、この清々しさは、たまりません!
しばらくすると、山に隠れていた朝日が、最初は恥ずかしそうに、しかし「どうだ!」と言わんばかりの威厳はあくまでも忘れず、やがて静かに、かつ堂々と顔をのぞかせてきた。
冬の、少し遅い時刻ではあるが、
春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。
という、清少納言の感性に少しの間浸った。
「月夜」というロマンチックなバス停を過ぎ、
弘法大師が杖を突いて清水を涌かせたと言う、うらぶれた月夜御水庵の横を通り過ぎると、
道はやがて「いやしの道」へと続いて行く。
ユーミンは空海?
なぜこの道が「いやしの道」なのだろう・・・
まず静かである。
深閑とはこういうことなのだ・・・
まだ朝早いということもあってか、人も車もまったく通らない。
道の両側が山で、そこにあるのは元気な小鳥たちのさえずりと、私の大好きな木漏れ日である。
そう言えばちょっと前に、正木晃という人の「密教的生活のすすめ」という本を読んだが、その中にユーミン(松任谷由美)の「やさしさに包まれたなら」の一節が出てくる。
カーテンを開いて 静かな木漏れ日の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつるすべてのことは メッセージ
なんともホンワリとする詞ではないか。
きっと季節は早春、窓越しに差し込む優しい木漏れ日に包まれ、その光を天啓のように感じている・・・
そんな情景が今ここにある。
実に清々しく、そしてやっぱり、木漏れ日がやさしく包んでくれている・・・
ただ前述の本では、ユーミンのその詞が、空海の「声字実相義」の中の、次の言葉とまったく同じことを表現していると言うのだ。
五大皆有響
十界具言語
六塵悉文字
法身是実相
この意味は、「すべてのものが真実を語っていて、究極のホトケである大日如来とは、この世界の、あるがままの姿にほかならない。」ということだそうである。
なるほど「すべてのことは メッセージ」やなあ・・・
でもここで私は、1行目の「五大皆有響」に引っかかった。
著者は「地・水・火・風・空の五大から構成される森羅万象には、みな心理を語る響きがある。」と訳されているが、ではなぜ自然を表す地・水・火・風・空が「皆響き有り」で、「言語を具す」でも、「ことごとく文字なり」でもないのか、である。
歩き遍路をしていると、宿以外ではほとんど人に会わずに長距離を歩くので、一日中、自然というか、四国の風土に包まれ(この風土という言葉も、その土地のすべてを表す実に巧みな言葉だな~)、まわりに対する感覚が変わってくる。
すると、山も川も太陽も風も空も海も、五大すべてに、普段は意識しないそれらの「実在」を感じ、それらと対峙し、吾一人を包んでいる四国の風土が、まさに音を発して互いに響き合っているのを感じるのだ。
そしてそんな時、「お大師様の追体験を、わずかながらでもしているのだなあ。」という喜びを感じるのだ。
室戸まで96キロ!
しばらくの間哲学的?な感傷にひたっていると、道はやがて室戸岬に続く国道55号線の高架下に出てくる。
今年の夏、「炎暑の徳島縦断」以来の再会だ!
山際の細い道を登って国道にたどり着くと、そこにはこれから先、何度もまだかまだかとがっかりさせられ、何度も励まされることになる、室戸までの距離の表示板があった。
もうひとつトンネルを抜けてから、道を右にそれ、55号線とはしばしのお別れ、県道25号線を由岐へと向かう。
しばし歩くと、遠くに海が見えてきた。
今回の区切りうちで始めての海である。
そこから45分ほどで、やっと海に出た。
JR予讃線のすぐ横を通り(柵もない)
エンジェルフォールに迎えられたりして
やがて木岐の港に入っていった。
すると突然、「お遍路さ~ん!」と前方のお宅から出てこられた女性に呼び止められた。
優しそうなその方は、ご自宅で学習塾をやっておられるようだが、「ちょっと待ってね。」と言われると、奥からありがたい「お接待」を持って来られた。
いただいたのは、「ザすだち」というローカル色豊かな缶ジュースとみかん2個。
いつもながら本当にありがたい。
どうしていつも疲れたときに、こうもタイミング良くいただけるのか、「だれかが見守っていてくださるのかなあ。」とさえ思ってしまう。
丁寧にお礼を言ってお別れし、しばらく行った道端のベンチでいただいた。
そうして再び歩き始めたが、遍路地図によると、しばらく行ったところで県道からはずれて海岸べりを歩くことになっている。
遍路マークもそうなっているので、そちらの方へ歩いていくと、また「お遍路さん」と、今度は白のクラウンに乗ったこわもてのオジサンに呼び止められた。
「この先は行き止まりで道がないよ。」と言われる。
「地図に書いてありますので。」と言って行こうとするが、どうしても反対される。
旧の遍路道は、とんでもないケモノ道みたいなところが多く、一般の方には道に見えないのかも知れないのだが、この方、車を停めたままでなかなか動こうとしない。
仕方なく、まあこれもありがたいお接待と考え、遠回りではあるが、舗装された県道を行くことにした。
山座峠を越えたところで山道に入ったが、
しばらくして、今でも信じられないのだが、暗い谷全体に、響き渡るようなパイプオルガンの音が聞こえた
たいへん場違いな、しかし本当に、確かに聞こえたのだ。
それともうひとつ、この山道では、太龍寺以来今回2度目になるが、また猟師さんに出合った(パイプオルガンの件は、頭がおかしいと思われそうなので話さなかった。)。
その方も軽装で、手には鉄砲と鹿の角をもっておられた。
鹿の角は拾ったそうで、この後私も目を皿のようにして、鹿の角を探しながら山道を下った。
県道に再び合流し、1キロ半程でえびす洞の入り口に到着。
けっこう足にきていたが、せっかくなので見学。
波の力で、直径10m以上か、かな~り大きな穴が開いていた。
一方、山にはただ1本の赤い花?葉?
周囲に負けず、凛として気高く美しい
えびす洞から約2.5キロ、いつも最後はつらいのだが、今日はずいぶん早めに着いたとはいえ、けっこうヘロヘロだった。
門前町の直線的に延びた商店街を抜け、やっと山門に到着。
城郭の趣のあるお寺だ。
厄年の人は一段ごとに1円玉を置いていくという厄坂を上ると、
てっぺんの瑜祇塔(ゆぎとう)前から日和佐の町が一望できた。
さて、お目当ての宿坊は残念ながらお寺のすぐ外、ちょっとした旅館風のビルだった。
団体さん向けなのか、部屋はもったいないくらい広い。
さて荷物を置いて近くの食堂で昼食、道の駅をぶらぶらして時間をつぶした。
急いで歩いて、しんどいのはいいんだけれど、早く着くとこれが困るのだ。
何か手持ち無沙汰で、罪悪感さえ感じるのだ。
もう少し余裕を持って、計画的に歩ければと思うのだが、歩き出すとレースモードに入ってしまい、休めない。
困った性分です。
歩行距離:22.4キロ 宿泊:薬王寺宿坊(☆☆☆)
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