幸先の良い虹
朝起きると、外は細い雨が降っていた。
「これで選びに選んだモンベルのポンチョが着れるぞ。」と内心少し喜んだが、6時過ぎに朝食を摂る頃にはもう雨は止んでいた。
ちょっとがっかりしたが、代わりに見事な虹が出ていた。
はっきりとした虹の外側にも、うっすらともう一つ見えている。
根が単純だから、これで元気百倍!
お弁当をもらってあわてて出かける頃には、もう同宿の人はあらかた出払っていた。
いざ「へんろころがし」へ!
藤井寺奥の、焼山寺への登山口に着いたのは、ちょうど7時だった。
ここから健脚5時間、並足6時間、慣れない人は8時間と言われる、12キロの山登りだ。
名にし負う遍路道最難関の「へんろころがし」らしく、イントロはなかなか鬱蒼として気味が悪い。
出遅れたのが原因か、この頃にはすっかりいつものレースモードに突入していたようだ。
今日は胸にハートレイトモニターを付けている。
乳酸を蓄積しないように、心拍数が160以下になるよう、はやる気持ちを抑え抑えて歩き続けた。
しばらくすると、先に出た同宿の人たちがもう休んでいたので挨拶をして追い抜いたが、ちょっと早すぎて拍子抜けだった。
長戸庵では、青年3人が休んでいた。
若い人は見ていて気持ちがいい。
こっちはやっぱり休まない、休めない・・・
お賽銭を入れて歩き続ける。
しばらく登ったら見晴らしのいい所に出た。
遠く吉野川が見える。
きのう向こうから渡って来たんだと感激。
写真を撮っている間に、さっき休んでいた青年1人が追い抜いてい行った。
元気な若い人に引いてもらおうと思って、後に付いてい行くことにした。
柳水庵に着くと、その青年がザックを下ろして一休みするようだ。
私はザックで肩が擦れて痛くなってきたので、上半身裸になってテーピング用テープを痛いところに貼り、何故か急いで出発した。
あくまでトライアスロンのトランジッション(種目が変わるときに着替える所)のノリから逃れられないのである。
自分でも急ぐつもりはないのだが・・・
きっと変なおじさんに思われただろう。
浄蓮庵(一本杉庵)への急な登りを、あの女遍路のAさんがいいペースで登っていた。
近づいて行くと、大きな石に腰を掛けて道を開けてくれた。
聞くところによると、なんでも5時半に出てきたそうだ。
ここまで10人以上の人を追い越してきたが(大抵座って休んでおられた)、みんな本当に朝早くからがんばっている。
頭が下がる思いだ。
Aさんと別れてしばらく登ると、急な石段の正面にいきなり大きな弘法大師像が現れた。
後ろの杉の巨木が一本杉庵の名の起こりだと言う。
一本杉庵では青年二人が休んでいたが、煙草を吸っていた。
遍路に煙草は似合わない。
生まれ変わり
ところで話は変わるが、この「へんろころがし」中いろんな生き物に出会った。
蜂はしばしば現れて、いつまでも周りを回っている。
偵察隊の1匹なのか、
決して刺そうとしないので追わない。
すぐ前の足元をカサッと音がして、驚いて見たら、横切った蛇かトカゲの長いしっぽだけが一瞬見えた。
恋人同士のように戯れあっていた、黒い羽にコバルトブルー模様の大きな2羽の蝶々。
突然飛び出すオレンジ色っぽい大小の蛙。
そして足元の石の間に何匹も、特に最後の登りに多くいたのは、なぜかお遍路のような白い甲羅の小さな蟹。
どれもみな、私には昔のお遍路の生まれ変わりのように思えて、踏まないよう、邪魔しないように注意して歩いた。
人生そのものの仕打ち
さて浄蓮庵(一本杉庵)からは下りになる。
ここまでも何度か下りがあって、その都度ほっとしたのだが、その後しっかり登らされた。
そのことを学習した今となっては、「もうあんまり下らんといて。」と願いながら下るのである。
しかし地図によると、345m下って300m登ることになっている。
「願いはしばしばひどい形で裏切られる。」という、まさしく人生そのものの仕打ちが最後に待っているのだ。
下りきった左右地谷川はきれいな渓谷を作り、一時目を楽しませてくれたが、
ここからが「へんろころがし」の本番、最後の登りだ。
道はさらに細く、さらに険しく。
角張った石の表面は濡れていて滑りやすく、登りにくいことこの上ない。
しかもそろそろ疲れもピーク、
休み休み這い上がる。
「もうそこが頂上、もうそこが頂上」を、「これでもか、これでもか」と繰り返し、汗だくになってやっと辿り着いた。
登り切ると、そこは立派なお寺の参道だった。
車で来られたらしい、さっぱりとした軽装の人たちに、「ご苦労様。」と言われながらしばらく歩くと、とうとう焼山寺の山門に到着した。
12番焼山寺(10:56)
時に10時56分。
なんと3時間56分の、自分でも驚く程の早さだった。
ザックを下ろし、納経を済ませ、自販機で買ったペットボトルを2本飲み干しながらお弁当を食べた。
ほっとした。
しかしそれも束の間。
私の中で、独りのレースはまだ続いていたようだ。
お弁当を食べ終わる頃、あの青年が登って来た。
そして私はまたザックを担いで歩き始めた。
だれに褒めてもらえるでもないのに、
歩き続けることが義務であるかのように・・・
その時疲れは感じなかった。
今日の目的地まであと10キロ。
時間的には充分だが、気持ちが休憩を許さないのだ。
不思議な何かが・・・
けっこう道幅はあるが、石ゴロゴロの陰気で危ない遍路道を下って行くと、後ろから私よりも元気な、ハイキング姿の中年男性が追い抜いて行った。
すごいスピードだ。
あっという間に見えなくなった。
捻挫しなければよいが・・・
遍路道は、梅林を横切ったり、舗装された自動車道と時折交わりながら下って行く。
私が自動車道を歩いていた時、上のほうから突然「道はこっちですよ。」と声を掛けられた。
見上げるとさっき追い抜いていった方だ。
そしてよく見ると、山に入る小道に例の赤い遍路マークがあった。
危うく道を間違え、とんでもない所に行ってしまうところだった。
またしても不思議、
不思議にもずっと先をいっているはずの彼がまだそこにいて、私に気付いてくれたのだった。
不思議な何かが私を守っていてくれる。
思わず、南無大師遍照金剛!
やってくれるぜ、玉ヶ峠!
さあこの後の玉ヶ峠越えもきつかった。
暗い陰気な山道はさらに細く、所々崩れている。
登りもきつい。
疲労度を考えると、焼山寺への最後の登りに匹敵するくらいだ。
やっと登った峠の頂上で1人のお遍路がへたっていた。
お互い「お疲れ様~」である。
さてこの後は延々と舗装道路だ。
はるか下の谷底に鮎食川が細く見えてくるが、道はなかなか下っていかない。
ひょっとしてわずかに登っているのではと思えるところもあり、
遍路マークもあまりないので不安になる。
舗装道路も木陰はいいが、そうでないところは、焼け付いた道路の熱さと照り返しで、足の裏は腫れ上がった感じになり、頭は朦朧としてくる。
それでも早くこの行軍をやめたい一心で、休まずひたすら歩き続ける。
おん あぼぎゃ
べいろしゃのう
まかぼだら
まに はんどま じんばら
はらばりたや
うん
「もうどうにでもしろ」と思った頃、やっとはっきりとした下り坂になり、あっという間に川に近づく。
川遊びをする家族を尻目に坂を下ると、本名という町に入り、もう今日泊まる予定の植村旅館はすぐそこのはずだ。
いなか
ところがない。
ない。
旅館らしき建物がない。
次の角まで行って、なかったら後戻りは嫌だし、どうしよう。
橋のたもとに座り込み、電話をしたらなんと植村旅館は目の前の古びた民家だった。
おばあさんが出てきて、「あんた早いね~。もっと先まで行くかね?」と聞かれた。
こっちはもう、気持ちがいっぱいいっぱいだったので、「いえ結構です。」と答え、中に入らせてもらった。
午後2時半少し前だった。
焼山寺から2時間半くらいかかったが、その倍かかったような気分だ。
教えられた部屋は、「へんろころがし」より急な階段を上った2階の広い部屋。
今日は3人の相部屋だそうだ。
近くに宿がなく、断り切れないのだろう。
しばらく休んでやや元気回復。
窓から外を眺めると、鮎喰川が気持ち良さそうに流れている。
冷たい川に浸かりたかったが、高校生くらいの女の子達が川遊びをしていたのでやめた。
変なおじさんと思われたくないので・・・
しばらくするとお風呂が沸いたとのこと、さっそくまた1番風呂をいただく。
その後、缶ビールを買いにちょっとお散歩。
洗濯は家の外のくもの巣の張った洗濯機で済ませ、乾燥機はないので、この旅館では部屋に張ってあるロープに干すことになっているようだ。
部屋にはまた、昔懐かしいチャンネルを回す方式のテレビがあり、こんなことをしていていいのかなと思いながら時間をつぶした。
夕食時には総勢7人のお遍路が1つの食卓を囲み、和気あいあいと遍路話に話がはずんだ。
料理はなかなかなもので、先ほどのおばあさんと、さらにそのお母さん(90何歳か)とでやっていらっしゃるそうだが、優しさ一杯の、まるで「いなか」に帰ったような宿である。
私が早く歩けた訳
私が歩くのが早いことに皆さん驚いておられたが、決して急いだつもりはないのだ。
ただ例の性分で、あまり休まなかっただけ。
今日もザックを下ろしたのは、焼山寺での昼食時に15分位、途中の柳水庵と、玉ヶ峠を越えてしばらく行ったところにある庵の前でそれぞれ数分間の、計3回だ。
私は年甲斐もなくサッカーをしているが、ハーフタイムで休むと、後半出て行く時に膝が固くなっていることがよくある。
今回はあまり休まなかったせいか、心配していた持病の膝と股関節の痛みもなく、初日におかしくなった腰の具合も、今日の上り下りでひどくなるどころか、すっかり良くなってしまった。
不思議な遍路のご利益である。
あと考えられるのは、狭い「へんろころがし」の道のすぐ脇にはたくさんのお地蔵様や墓標のようなものがあり、マイルールに従って、お地蔵様を見つけるたびに、できるかぎり立ち止まって「南無大師遍照金剛」を3回ずつ唱えてきたことが、極小休止になって良かったのかもしれない。
それから金剛杖は、「へんろころがし」で2回転んだ時に無事に身体を支えてくれただけでなく、杖を突く音とその上部に付いた鈴の音が、山中での一人歩きを元気付け、リズム良く歩き続けさせてくれた。
そして最後にやっぱり、
無意識に口の中で唱え続けていた
「おん あぼぎゃ・・・」のおかげかもしれない。
ここでもう一度
南無大師遍照金剛!
さて明日はいよいよ徳島市越えの39.6キロに挑戦だ。
同宿の方は炎熱の徳島市内を避け、途中電車で行くらしいが、「あなたなら行ける。」と励ましてくれた。
おばあさんに5時出発をお願いして、早々に寝た。
歩行距離:23.3キロ 宿泊:植村旅館(☆☆)
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