歩き遍路に魅せられて

夢と希望のヘロヘロ遍路

2007年夏 歩き遍路に魅せられて・・・2007 8/10~8/15

ある日、いつものジュンク堂で、サライという雑誌の「四国遍路特集」を見かけた瞬間、私はもう、歩き遍路の世界に引き込まれていた。

そこには「修行」とか「祈願」とか「人生を見つめ直す」とかいった、一種の悲壮感はなく、私の大好きな、「情報収集」「物品の選択と購入」「作戦計画の立案」「挑戦」のすべてがあったのだ。

[情報収集]

まずはサライを購入。
さらにネットで調べて、
○ 四国お遍路バックパッキング(ホーボージュン&BE=PAL編集部編)
○ 《新版》四国八十八カ所を歩く(山と渓谷社)
○ 空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編・地図編(へんろみち保存協力会編)
の4冊を購入、熟読。
歩き遍路のサイトもくまなく閲覧し(掬水へんろ館
http://www.kushima.com/henro/)、ますますのめり込んでいった。

Photo

かくして決行予定日は8月10日の夜。
お盆休みを利用し、まる4日歩いて、15日の朝には帰って来ることにした。

母にそのことを告げると、ひとこと「アホやで!」。
どうやら母には、お遍路さん=奇人・変人のイメージがあるようだが、唯々バチが当たらぬことを祈るばかりである(南無大師遍照金剛)・・・

[物品の選択・購入]

  • IBS 石井スポーツ
    ザックは、軽さと価格の点から 
    deuter 社のSPEED LITE 30を選んだ。
    25ℓで良いと書いてあるものもあるが、四国への行き帰りに山谷袋を中に入れるとすると(恥ずかしいので)、30ℓで良かったと思う。
    ただ、肩が擦れて痛かったので、毎日
    テーピング用のテープを肩に貼っていた。
    ザックの選択も含め、専門家にぜひ意見を聞きたいものだ。
  • 表装の詠智会 http://www.eitikai.co.jp/index.html
    金剛杖・朱印用白衣(行く直前に母親から婉曲的に頼まれた)・ロウソク・線香は、初日に一番札所霊山寺の売店(値段が高いが)で買うことにし、その他のものは、価格と品質の点から詠智会の通販で購入した。
    菅笠(ひのき笠)は大きくてしっかりしていたが、めんどうでも紐にもう少し工夫(「四国遍路ひとり歩き同行二人」参照)があれば、さらに売れるのでは・・・
    その他、
    おいづる(袖なし白衣)、輪袈裟、さんや袋、念珠、経本、納経帳、納め札。
  • mont-bell (モンベル)
    レインコートは夏は暑いので、モンベルのレインポンチョ・レインチャップスを買ったが、第1回の区切り打ちでは、全行程「晴れ~」のため、結局使わなかった。
    即乾性の衣類も
    モンベルで買った。
    ズボンは毎日洗ってもすぐ乾いたので良かったが、蒸れて暑かった。
    夏は都市部を歩くのには、
    短パンが一番のようだ。
    ただ短パンの人で、焼山寺のへんろころがしで、虫に刺されたのか、草にかぶれたのか、足が腫れ上がっている人がいたので、山はやっぱりやめておいたほうが良さそうだ。

    Tシャツ(2枚)もかなり良かったが、この暑さでは、いかに速乾性と言えども、乾くのが追いつかないほど汗をかいた。(他に以前から持っているランニング用のを1枚携帯)
    問題は
    ブリーフ(3枚)だった。
    なるほどすぐ乾くが、ひどい股ずれになってしまった。
    人知れず
    バンドエイドをいっぱい貼った上からテーピングしたが、、、こりゃたまりません!
  • その他の携行品
    靴はランニング用に普段から履いている
    SAUCONY。
    靴下は、これも
    ランニング用の5本指ソックス(3足)。
    地図を入れる、百均で買った
    ビニールケース。
    携帯はズボンのポケットに、デジカメはカラビナでザックの胸のストラップに引っ掛けた。
    菅笠の下に頭に巻く日本手拭、バスタオルの代わりのスポーツタオル、汗拭きタオル各一枚。
    入浴セット(シャンプーなど)、洗濯セット(洗剤・物干しロープなど)はどの宿にもあり、不要だった。
    足の肉刺(マメ)治療用の赤チンをドラッグストアで探したが、ないので「赤チンありませんか~?」と女店員に聞いたら何故かモジモジしている。
    はっと気付いた。マーキュロクロムと言うべきだった。
    変態スレスレのおじさんであった。

    正露丸、抗生物質。
    毎朝欠かさず飲んだのは
    マルチビタミン、アミノバイタルプロ。
    朝食・昼食は、すぐに歩き出すので、満腹になるほど食べなかった。
    それに、たいてい宿に着くのが早かったので、カロリーメイトなどの
    携行食は、間食としても役立った。

[作戦計画の立案]

お盆休みが8/11~8/15の5日間しかなく、帰省ラッシュを避けるために、8/10の夜に現地に入り、8/15の朝には徳島を出ることにした。

歩けるのはまる4日間。
大きなハードルになる、焼山寺への「へんろころがし」をうまく超え、徐々に歩き遍路に慣れるために、距離を少しずつ伸ばすことにした。

  • 1日目 1番霊山寺~7番十楽寺(17.5km)
  • 2日目 7番十楽寺~11番藤井寺(19.7km)
  • 3日目 11番藤井寺~12番焼山寺~玉ヶ峠~植村旅館(23.3km)
  • 4日目 植村旅館~徳島市内~19番立江寺(39.6km)

4日間で計100.1km+α。
準備はできた。
あとは「挑戦」あるのみ!!!

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8/10 大阪~1番霊山寺

目指すは1番札所霊山寺

仕事を午後6時で切り上げ、大急ぎで夕食。
大阪駅前より、7時半のJRバスにて一路四国へと渡った。

霊山寺の最寄駅、高松自動車道の鳴門西には10時前に到着した。
だが停留所は明るいものの、周りは真っ暗。
地図や看板もなく、はっきりとした道もない。
うろうろしている間にだれもいなくなった。

さあ大変!
まだ遍路してないのにもう迷子~?

まったく初めからこれでは、先が危ぶまれる。

仕方なく宿に電話をしたら「わかりにくいので、車で迎えに行きます。」とのこと。
恐縮しながらも、早々の「お接待」を、ありがたくお受けする事となった。

宿は霊山寺近くの「かどや椿荘」。
こじんまりした旅館だが、なかなかきれいで歴史もあるようだ(翌朝のおかみさんのお話によると、100年以上前からだそうだ。)。
遅く着いたにもかかわらず、おかみさんの愛想もいい。
さっそくお風呂をいただき、明日に備え早々と寝た。

宿泊;かどや椿荘(☆☆☆)

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8/11 1日目(晴れ) 1番霊山寺~7番十楽寺

嬉し恥ずかし初心者遍路

朝5時前に目を覚ました。
窓を開けると、昨日は暗くて分からなかったが、周りは田んぼに囲まれた田舎の風景。
低くたなびく雲が山にかかって、昨夜までの大阪の風景がうそのようだ。

P1000007

6時半には朝食を済ませ、7時前におかみさんの見送りを受けて宿を出た。
菅笠・白衣(びゃくえ)姿が気恥ずかしいが、いよいよこれからだと思うと、身が引き締まる。

一番札所の霊山寺への途中、出会ったおばあさんに愛想良く挨拶をしていた。
ほんの数分のわずかな間に、すっかりいい人になってしまっていた自分が、少し怖い・・・

P1000008 1番霊山寺

思ったより古い感じのお寺(山門の前のお遍路さんは人形)はまだ閑散としていたが、本堂横の売店で、金剛杖・ロウソク・線香・両親用の朱印用白衣(88ヶ所の札所で白衣に朱印を押してもらい、亡くなった時に着るそうだ。)を買い、本堂と大師堂で、ロウソクと線香を供え、たどたどしくお経を唱えた。

唱えるのは

  • 開経偈(1回)
  • 般若心経(1巻)
  • 御本尊真言(3回)
  • 光明真言(3回)
  • 弘法大師御宝号(3回)
  • 回向文(1回)

となっているそうで、周りに人がいると、これまた結構気恥ずかしく、口の中でもぐもぐと唱えた。

その後駐車場横の納経所で納経帳に記帳・朱印をいただいた。

これで一つクリア!
ほっとした。

スタンプラリー?

2番札所の極楽寺へは、県道沿いを西へ1.4キロ。
すれ違う車に、何故か遍路姿が誇らしい気持ちになる。
周りは完全に田舎の風景。
空はあくまで晴れ渡り、稲もよく育っている。

P1000010 P1000011
歩き遍路は数名見かけただけだったが、途中でランニング用のタイツを穿いた女性遍路(?)が追い抜いて行った。
極楽寺に着くと、その女性はお経も唱えずに、風のように足早に立ち去って行ったが、納経帳のスタンプラリーなのだろうか・・・

2 2番極楽寺

境内にある、弘法大師お手植えの長命杉。
先がきれてしまってゴメンナサイ。

P1000017

納経所で「これから先は食べるところがありませんから。」と言われたので、そこで売っていたお弁当を買った。
おにぎりに漬物か何かの至ってシンプルなものだったが、これが典型的な遍路の弁当のようだ。

Aさん

2番を打ち終えて(遍路ではお参りすることを「打つ」と言うそうだ。)、2.6キロ先の3番金泉寺に向かう。
途中、七分丈(?)のズボンを穿いた女性の歩き遍路を追い抜いた(「お先に」とだけ挨拶した。)。
女性が一人ぼっちで暑い中をトボトボと歩いているのは、何故か不思議で、ひどく頼りげなく感じてしまう。
30歳位の彼女(仮にAさんとさせていただく。)とは、その後2日とも、後ろから追い抜くことになった。

へんろみち

さてここまではほとんど舗装道路を歩いてきたが、金泉寺まであと少し、それらしき建物が見えてきたという所で、こんな道しるべがあった。

P1000019

左の石の道標は、江戸~明治時代に置かれたものだそうで、右の遍路姿の赤いシンボルと矢印は、へんろみち保存協会があちこちに付けてくれている道しるべで、歩き遍路は皆、これを頼りに歩いているのだ。

ところが、この道しるべの指す方向はというと、

P1000020

田んぼの間の、ただのあぜ道???。
こんな風に、「へんろみち」は昔からの道を辿っているので、立派な舗装道路から、突然無慈悲にも、山や林の中に分け入らされたり、逆に林の中からいきなり民家の軒先に出てきて、びっくりすることがあるのだ。

ともあれ、この後3番を打ち終えた頃、ようやくAさんがやって来た。
一言二言言葉を交わした。
歩き遍路同士は、会えば自然と挨拶するもので、不思議な親しさ・連帯感があるのだ。
Aさんに GOOD LUCK!と祈ろう。

3 3番金泉寺

遍路姿の記念写真を撮っていなかった(頼むのが恥ずかしかった)ので、ここの納経所の方にケイタイで撮ってもらった。
ザックが見えないが、7キロ以上あるのを背負って、ちょっとお疲れ気味。

Photo
暑ソ~!

道標、墓標 etc.

4番大日寺へは、舗装道路あり、農道あり、ちょっとした山道ありの、変化に富む5キロの道のりだが、途中2~3人の人しか見かけず、孤独のためか長く感じた。

(歩き遍路の頼みの綱、道しるべのかずかずと、墓標 etc.)

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古い道標・墓標を見るとき、私の目には、その前を歩いて行く当時のお遍路さんや、当地で亡くなられた方々の姿が浮かんでくる。
今や彼らも私も、同じ道を辿り、同じ目的地を目指す同士なのだ。

マイルール

歩きながら何を考えているかというと、大して何も考えていない。
私は、仏教も神道もキリスト教も拝む、普通のFuzzyな日本人のつもりだが、遍路中は、札所で唱える金明真言を、

おん あぼぎゃ
べいろしゃのう
まかぼだら
まに はんどま じんばら
はらばりたや
うん

と、リズムをとりながら唱えていることが多かった。

ただ多くの墓標の前を通り過ぎる時には、「御宝号」の

南無大師遍照金剛

を唱えてご冥福をお祈りし、
特にお地蔵様の前では、立ち止まって3回唱えることにした(これが小休止になった)。

4 4番大日寺

このお寺は、周りに何もない山の中のお寺で、昔から寺院経営はどうしてるんだろうと、余計な心配をしてしまう。

迷子に!

ここからは、1本道を南に行けば5番地蔵寺に着くはずだが、徳島自動車道の高架の前あたりで、例のへんろみちを示す赤いへんろマークがあった。
それで脇道にそれて行くうちに、何か変?
どうも方向が違う!
しばらくへんろマークも見かけない。
「歩き遍路は、一歩でも後戻りするのが嫌だ。」と、どこかに書いてあったが、まったくその通り。
根性を決めて歩き続けた。
林を抜け、やっとあるお寺の前に出てきたが、地蔵寺ではないようだ。
だれもいない・・・
声を掛けたがだれも出て来ない(四国ではどこのお宅でも出てきていただけない)。
困った・・・・
暑い・・・・

と、ちょうどその時郵便配達の人が来たので、すがる思いで聞いてみたら、何と地蔵寺は隣のお寺だった。
助かった~。
ありがたい。
思わず、あの郵便配達は弘法大師のお使いだったのではと、心から感謝した。

5_2 5番地蔵寺

喉渇いた~!

6番安楽寺までの5.3キロは、長かった。
というのも、道は一本道なのだが県道ではなく、飲み物の自販機がなかなかない。

喉が渇いて渇いて・・・

やっと見つけたお店の前にテーブルと椅子があり、野球のユニフォーム姿の中学生の子供達がいた。
荷物を下ろし、お店でお茶とアイスクリーム2つを買った。
彼らと話しながら、2番の納経所で買ったお弁当を食べた。
続いてアイスを食べようとしたが、彼らの目が注目する。
そこでアイスを彼らの2人にあげ、もう1人を連れてまたお店に入った。
「逆お接待」におかみさんがほほ笑んでいた。
素直ないい子達だった。

P1000051_3

これで元気を得て、後は快調!
安楽寺には1時前に着いてしまった。

6 6番安楽寺

一面の田んぼの中にポツンとある感じのお寺だが、なかなかきれいなお寺で、大きなお風呂の宿坊があるそうだ。

予定では、今日は次の7番十楽寺までになっているし、このお寺の売店兼喫茶店の前の、ソフトクリームの看板がたまらなく魅力的で、まるで手招きされているように感じたが、なぜかここは「色即是空」と思い直して歩き続けた。

進化する宿坊!

十楽寺までは1.2キロなので、結局1時半には着いてしまった。

7 7番十楽寺

宿坊の予約をしていたので、納経所兼宿坊受付でそのむねを告げると、何とカードキーをくれるではないか。

宿坊の中はまるでビジネスホテル。
しかもほとんど新品のツインルームである。
冷房を入れ、荷解きをし、シャワーを浴びて、さっそく洗濯をした。

P1000061 P1000062

ところが、ところがである!
疲れはそれほどないが、ザックをおろした時から腰の具合がおかしい。
ギックリ腰の前兆のような感じ。
ザックを下ろして、急にバランスが変わって痛めたのかも知れない。
あわてて腰痛体操をしたが(2年前のお盆休みは、ギックリ腰で1週間入院していた。)、早くも「リタイア」の文字が頭をかすめた。

坊主百まで・・・

夕食と朝食は下の食堂で食べた。
夫婦連れや、途中で仲良くなったような遍路達が全部で10人くらいだろうか、私はだれとも話さなかった。
さっさと食べて部屋に戻った。
なーんか気合が抜けないのだ。
考えてみると、朝出発してからこのお寺に着くまで、昼食の時以外は一度もザックを下ろさなかった。

その昼食もなぜかあたふたと済ましてしまった。

なぜだろう・・・

自分の中に何かがいる。
よく考えると、今日の歩きは、まるで1990年の佐渡島トライアスロンのレース中の気分に似ている。
灼熱の太陽とアスファルトの照り返しが、スタートとゴールというレーススタイルが、無意識に気分を17年前に戻したのかも知れない。

途中決して早く行こうなどと、考えもしなかった。
でもなぜか、頭の中でスタートの号砲を聞くと、前へ前へ、休まず前へ、となってしまうのだ。

本当に困った性分だ。

歩行距離:17.5キロ  宿泊:7番十楽寺宿坊(☆☆☆☆)

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8/12 2日目(晴れ!) 7番十楽寺~11番藤井寺

金剛杖と同行二人(どうぎょうににん)

朝食は6:30からで、7:30頃には出発した。

今日~も暑いぞ!

出発してすぐ、昨日のご夫婦を追い越すと道が二手に分かれている。
保存協会の地図では左になっていたが、「右が近道」と書いた、旅館が作った道標がある。
迷っていると、ご夫婦が追いついてきて、ご主人が「右ですよ」と教えてくれた。
高速の北側を行く道らしい。
本当は遍路道を行きたかったのだが、せっかく教えていただいたので、右の道を行くことにした。

しばらく行くと、昨日のAさんが歩いているではないか。
7番近辺には宿がないから、6番を6時半頃出てきたのだろう。
相変わらず下向き加減で、トボトボ歩いている。
「おはようございます。お先に。」と言って通りすぎたら、にこっとしていたが、私も含め、独り歩きの遍路は結構辛そうに見えるのかもしれない。

どのくらい歩いただろうか、前後にだれも見えなくなったのに、突然だれかがすぐ後ろを歩いて来る音がした。
振り向いたがだれもいない。
自分の足音でもないようだ。
ザックの揺れる音かもしれない。
でも不思議だ。

なぜ今だけ聞こえたんだろう。
急に信心深くなって、「お大師様がついて来て下さるんだ。」と思うと、気にならなくなった。

それにしても、この金剛杖、まことに具合がいい。
杖はお大師様の分身で、宿に着いたらまず杖先を洗い、床の間に置くのが作法だそうだ。
使っている時は、無意識に大体4歩に1回突いている様だが、1・2・3・4・、1・2・3・4・とリズムがとれ、長時間歩き続けられる気がするのだ。
二日目にして早、一人歩きの、まさしく頼れる相棒(失礼!弘法大師様)になっている。

さてこの道は近道かもしれないが、「天然温泉御所の郷」を超えるとちょっとした上り坂になっている。
「左の道の方が楽やったかも・・・」と少し悔やまれた。

8番熊谷寺に着くと、同宿だった人がもう納経所の前で休んでいた。
昨日とは別の遍路と親しげに話している。
だれとでもすぐに友達になれる人もいるもんだ。

P1000064_2 熊谷寺仁王門(8:25)

P1000068 8番熊谷寺

ともあれお参りを済ませ、やっぱり休まずに次を目指していた。

岩の上に立った鳥居を過ぎていくと、あたりは広い田園地帯。

P1000072 P1000073

こんなふうに、人も車もいないのだ。
いるのは、照りつけるおてんとうさまと自分だけ。
いや同行二人だから、
おてんとうさまと自分と、弘法大師様だった。

赤い矢印を頼りに、ただ歩き続けるのだ。

9番法輪寺を打ち、さらに10番切幡寺を目指した。

P1000074 9番法輪寺(9:20)

切幡寺は門前が長い坂道になっていて、両側に民宿などが立ち並ぶ門前町のような形になっている。
家並みを抜け、しばらく坂を上ると山門に着く。

P1000076_2 10番切幡寺(10:22)

さらに奥に333段の石段があり、これを上りきると、やっと本堂・太子堂が現れた。

P1000078_2

健脚カップル

さすがに疲れて、鐘楼の横のベンチにザックを下ろし、自販機のお茶を飲んでいると、隣のベンチに座った30才前後のカップルが、さらに登って二重の塔まで行くと言う。
遍路らしからぬ、短パンにハイキング姿だ。
くやしいので、後を追って登った。
二重の塔前は展望台のようになっていて、遠く吉野川を望む景色は素晴らしく、ここまで来た甲斐があった。

P1000080_2

いつの間にか展望台はそのカップルと私だけになり、何となく気まずくなって先に山を下り、本日最後の9.3キロ、まずはそのまま真っ直ぐ吉野川へと向かった。

けっこう調子よく歩いていたが、喉が渇いて飲み物を買っている間に、さっきのカップルが追い抜いて行った。
あまりすぐ後ろを歩いても悪いので、少し間隔をあけて歩いたが、この二人、なかなか早い。
ついて行くのが精一杯だ。

吉野川はさえぎる物が何もなく、ただ暑かったが、広い中州に架かった2本の沈下橋を渡るのは、涼しくて本当に気持ちが良く、よっぽど川に足を浸けたかった。

P1000082北側の堤防より、川原を行く二人を追う

P1000083 最初の潜水橋(大水になると水没する)

P1000085 広~い中州を歩く

P1000088 2つ目の潜水橋から対岸を望む

だが二人がどんどん先を行くので、置いて行かれる様で休めない。
時間はたっぷりあるのに、本当に嫌な性分だ。

ところが川を渡った所で、二人は遍路道と違う方向に行くではないか。
大声を出して呼んだが、とうとう見えなくなってしまった。
仕方なく歩き続けいると、しばらくして、思いがけず前方に彼らが現れた。
ほっとした。
結局彼らは鴨島の方に行ってしまい、私はそのまま
11番藤井寺に向かった。

それにしても炎天下、外を歩いている地元の人をほとんど見かけない。
しかし案外これが普通で、多くの人が行き交う大阪が異常なのかも知れない・・・。

嗚呼 藤井寺!

県道から右に入ってからは道がわかりにくく、今回2度目の迷子になりかけた。
また藤井寺直前の遍路道は、猫がやっと通れるような、細くて急な下り坂や、荒れた草ぼうぼうの小道で、いきなり古い民家の軒先から、これまた荒れ放題?の山門に、午後1時、ようやく到着することができた。

P1000089 11番藤井寺(13:02)

写真が傾いてしまったが、このお寺は確かに傾いている。
整備が行き届いていない。
「はしご貸してくれたら、屋根の草取りしますけど!」

率直に言うと、ボロイ。
納経所と言っても、駅の切符の改札口のようなガラス窓がある小屋があり、中の老人(タクシーの運転手が、住職と呼んでいた。)が何と罰当たりなことに、遍路の大切な納経帳や白衣に、記帳したり朱印を押したりする台の上に、こちらに向けて両足を載せているのだ。

貧しさは住職の心まで貧しくしたのか。
貧しくとも凛としていて欲しいのだが・・・

同じ札所の中には立派なお寺もたくさんある。
参拝者数が違うのか、檀家の数が違うのか、それとも住職が、女か賭け事にでも手を出したのか???(不謹慎)

まあまあ怒りも詮索はそれくらいにして、予約してある旅館吉野に向かった。

優しいご主人

着いたのが早過ぎ、お風呂が沸いていないとのこと。
そこで昼ごはんがまだだったので、自転車を借り、1キロちょっと離れた鴨島の町に食べに行くことにした。
食べるところがあまりなく、結局大阪にもあるバーミヤンで、徳島ラーメンと餃子、生ビール(一丁)!を注文した。
徳島ラーメンには、焼ブタの代わりに炒めた豚肉が、おまけに温泉卵が付いていた。
宿に戻る途中ローソンで飲み物を買ったが、帰りに自転車を立てておくスタンドを蹴ったら、壊れてスタンドが上がらなくなってしまった。
下がったままのスタンドが地面に当たるので、宿まで自転車を反対に傾けながら漕いで帰った。
宿のご主人に謝ったら、「古い自転車ですから。」と言って許してくださった。
宿は比較的新しい普通の民家を改造してあり、隣の部屋とは取り外し可能な間仕切りになっている。
また角部屋で風通しが良く、とても気持ちがいい。
お風呂も3時には沸かしてもらって、1番風呂をいただいた。
夕食時には私の他に6人。
みんなお遍路さんのようだったが、その内の、女性一人を含む4人のグループは、途中で知り合って一緒に歩いているようだ。
私にはどうもそんなまねはできない。
気ままで、人見知りをするおっさんである。

歩行距離:19.7キロ 宿泊:旅館吉野(☆☆☆)

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8/13 3日目 (早朝小雨、後晴れ!) 11番藤井寺~12番焼山寺~玉ヶ峠~植村旅館

幸先の良い虹

朝起きると、外は細い雨が降っていた。
「これで選びに選んだモンベルのポンチョが着れるぞ。」と内心少し喜んだが、6時過ぎに朝食を摂る頃にはもう雨は止んでいた。
ちょっとがっかりしたが、代わりに見事な虹が出ていた。
はっきりとした虹の外側にも、うっすらともう一つ見えている。

P1000092

根が単純だから、これで元気百倍!
お弁当をもらってあわてて出かける頃には、もう同宿の人はあらかた出払っていた。

いざ「へんろころがし」へ!

藤井寺奥の、焼山寺への登山口に着いたのは、ちょうど7時だった。
ここから健脚5時間、並足6時間、慣れない人は8時間と言われる、12キロの山登りだ。
名にし負う遍路道最難関の「へんろころがし」らしく、イントロはなかなか鬱蒼として気味が悪い。
P1000093

出遅れたのが原因か、この頃にはすっかりいつものレースモードに突入していたようだ。
今日は胸にハートレイトモニターを付けている。
乳酸を蓄積しないように、心拍数が160以下になるよう、はやる気持ちを抑え抑えて歩き続けた。

しばらくすると、先に出た同宿の人たちがもう休んでいたので挨拶をして追い抜いたが、ちょっと早すぎて拍子抜けだった。

長戸庵では、青年3人が休んでいた。
若い人は見ていて気持ちがいい。
こっちはやっぱり休まない、休めない・・・
お賽銭を入れて歩き続ける。

しばらく登ったら見晴らしのいい所に出た。
遠く吉野川が見える。
きのう向こうから渡って来たんだと感激。

P1000095

写真を撮っている間に、さっき休んでいた青年1人が追い抜いてい行った。
元気な若い人に引いてもらおうと思って、後に付いてい行くことにした。

柳水庵に着くと、その青年がザックを下ろして一休みするようだ。
私はザックで肩が擦れて痛くなってきたので、上半身裸になってテーピング用テープを痛いところに貼り、何故か急いで出発した。
あくまでトライアスロンのトランジッション(種目が変わるときに着替える所)のノリから逃れられないのである。
自分でも急ぐつもりはないのだが・・・

きっと変なおじさんに思われただろう。

浄蓮庵(一本杉庵)への急な登りを、あの女遍路のAさんがいいペースで登っていた。
近づいて行くと、大きな石に腰を掛けて道を
開けてくれた。
聞くところによると、なんでも5時半に出てきたそうだ。
ここまで10人以上の人を追い越してきたが(大抵座って休んでおられた)、みんな本当に朝早くからがんばっている。
頭が下がる思いだ。
Aさんと別れてしばらく登ると、急な石段の正面にいきなり大きな弘法大師像が現れた。
後ろの杉の巨木が一本杉庵の名の起こりだと言う。

P1000096

一本杉庵では青年二人が休んでいたが、煙草を吸っていた。
遍路に煙草は似合わない。

生まれ変わり

ところで話は変わるが、この「へんろころがし」中いろんな生き物に出会った。
蜂はしばしば現れて、いつまでも周りを回っている。
偵察隊の1匹なのか、
決して刺そうとしないので追わない。
すぐ前の足元をカサッと音がして、驚いて見たら、横切った蛇かトカゲの長いしっぽだけが一瞬見えた。
恋人同士のように戯れあっていた、黒い羽にコバルトブルー模様の大きな2羽の蝶々。
突然飛び出すオレンジ色っぽい大小の蛙。
そして足元の石の間に何匹も、特に最後の登りに多くいたのは、なぜかお遍路のような白い甲羅の小さな蟹。
どれもみな、私には昔のお遍路の生まれ変わりのように思えて、踏まないよう、邪魔しないように注意して歩いた。

人生そのものの仕打ち

さて浄蓮庵(一本杉庵)からは下りになる。
ここまでも何度か下りがあって、その都度ほっとしたのだが、その後しっかり登らされた。
そのことを学習した今となっては、「もうあんまり下らんといて。」と願いながら下るのである。

しかし地図によると、345m下って300m登ることになっている。
「願いはしばしばひどい形で裏切られる。」という、まさしく人生そのものの仕打ちが最後に待っているのだ。

下りきった左右地谷川はきれいな渓谷を作り、一時目を楽しませてくれたが、

P1000097

ここからが「へんろころがし」の本番、最後の登りだ。

道はさらに細く、さらに険しく。
角張った石の表面は濡れていて滑りやすく、登りにくいことこの上ない。
しかもそろそろ疲れもピーク、
休み休み這い上がる。
「もうそこが頂上、もうそこが頂上」を、「これでもか、これでもか」と繰り返し、汗だくになってやっと辿り着いた。

登り切ると、そこは立派なお寺の参道だった。
車で来られたらしい、さっぱりとした軽装の人たちに、「ご苦労様。」と言われながらしばらく歩くと、とうとう焼山寺の山門に到着した。

P1000098 12番焼山寺(10:56)

時に10時56分。
なんと3時間56分の、自分でも驚く程の早さだった。

ザックを下ろし、納経を済ませ、自販機で買ったペットボトルを2本飲み干しながらお弁当を食べた。

ほっとした。

しかしそれも束の間。
私の中で、独りのレースはまだ続いていたようだ。

お弁当を食べ終わる頃、あの青年が登って来た。
そして私はまたザックを担いで歩き始めた。
だれに褒めてもらえるでもないのに、
歩き続けることが義務であるかのように・・・

その時疲れは感じなかった。
今日の目的地まであと10キロ。
時間的には充分だが、気持ちが休憩を許さないのだ。

不思議な何かが・・・

けっこう道幅はあるが、石ゴロゴロの陰気で危ない遍路道を下って行くと、後ろから私よりも元気な、ハイキング姿の中年男性が追い抜いて行った。
すごいスピードだ。

あっという間に見えなくなった。
捻挫しなければよいが・・・

遍路道は、梅林を横切ったり、舗装された自動車道と時折交わりながら下って行く。

私が自動車道を歩いていた時、上のほうから突然「道はこっちですよ。」と声を掛けられた。
見上げるとさっき追い抜いていった方だ。
そしてよく見ると、山に入る小道に例の赤い遍路マークがあった。
危うく道を間違え、とんでもない所に行ってしまうところだった。

またしても不思議、
不思議にもずっと先をいっているはずの彼がまだそこにいて、私に気付いてくれたのだった。

不思議な何かが私を守っていてくれる。
思わず、南無大師遍照金剛!

やってくれるぜ、玉ヶ峠!

さあこの後の玉ヶ峠越えもきつかった。
暗い陰気な山道はさらに細く、所々崩れている。
登りもきつい。
疲労度を考えると、焼山寺への最後の登りに匹敵するくらいだ。
やっと登った峠の頂上で1人のお遍路がへたっていた。
お互い「お疲れ様~」である。

さてこの後は延々と舗装道路だ。
はるか下の谷底に鮎食川が細く見えてくるが、道はなかなか下っていかない。

P1000104

ひょっとしてわずかに登っているのではと思えるところもあり、
遍路マークもあまりないので不安になる。
舗装道路も木陰はいいが、そうでないところは、焼け付いた道路の熱さと照り返しで、足の裏は腫れ上がった感じになり、頭は朦朧としてくる。
それでも早くこの行軍をやめたい一心で、休まずひたすら歩き続ける。

おん あぼぎゃ
べいろしゃのう
まかぼだら
まに はんどま じんばら
はらばりたや
うん

「もうどうにでもしろ」と思った頃、やっとはっきりとした下り坂になり、あっという間に川に近づく。
川遊びをする家族を尻目に坂を下ると、本名という町に入り、もう今日泊まる予定の植村旅館はすぐそこのはず
だ。

いなか

ところがない。
ない。
旅館らしき建物がない。
次の角まで行って、なかったら後戻りは嫌だし、どうしよう。
橋のたもとに座り込み、電話をしたらなんと植村旅館は目の前の古びた民家だった。

おばあさんが出てきて、「あんた早いね~。もっと先まで行くかね?」と聞かれた。
こっちはもう、気持ちがいっぱいいっぱいだったので、「いえ結構です。」と答え、中に入らせてもらった。
午後2時半少し前だった。
焼山寺から2時間半くらいかかったが、その倍かかったような気分だ。

教えられた部屋は、「へんろころがし」より急な階段を上った2階の広い部屋。
今日は3人の相部屋だそうだ。
近くに宿がなく、断り切れないのだろう。

しばらく休んでやや元気回復。
窓から外を眺めると、鮎喰川が気持ち良さそうに流れている。

P1000105

冷たい川に浸かりたかったが、高校生くらいの女の子達が川遊びをしていたのでやめた。
変なおじさんと思われたくないので・・・

しばらくするとお風呂が沸いたとのこと、さっそくまた1番風呂をいただく。
その後、缶ビールを買いにちょっとお散歩。
洗濯は家の外のくもの巣の張った洗濯機で済ませ、乾燥機はないので、この旅館では部屋に張ってあるロープに干すことになっているようだ。
部屋にはまた、昔懐かしいチャンネルを回す方式のテレビがあり、こんなことをしていていいのかなと思いながら時間をつぶした。

夕食時には総勢7人のお遍路が1つの食卓を囲み、和気あいあいと遍路話に話がはずんだ。
料理はなかなかなもので、先ほどのおばあさんと、さらにそのお母さん(90何歳か)とでやっていらっしゃるそうだが、優しさ一杯の、まるで「いなか」に帰ったような宿である。

私が早く歩けた訳

私が歩くのが早いことに皆さん驚いておられたが、決して急いだつもりはないのだ。
ただ例の性分で、あまり休まなかっただけ。
今日もザックを下ろしたのは、焼山寺での昼食時に15分位、途中の柳水庵と、玉ヶ峠を越えてしばらく行ったところにある庵の前でそれぞれ数分間の、計3回だ。

私は年甲斐もなくサッカーをしているが、ハーフタイムで休むと、後半出て行く時に膝が固くなっていることがよくある。

今回はあまり休まなかったせいか、心配していた持病の膝と股関節の痛みもなく、初日におかしくなった腰の具合も、今日の上り下りでひどくなるどころか、すっかり良くなってしまった。
不思議な遍路のご利益である。

あと考えられるのは、狭い「へんろころがし」の道のすぐ脇にはたくさんのお地蔵様や墓標のようなものがあり、マイルールに従って、お地蔵様を見つけるたびに、できるかぎり立ち止まって「南無大師遍照金剛」を3回ずつ唱えてきたことが、極小休止になって良かったのかもしれない。

それから金剛杖は、「へんろころがし」で2回転んだ時に無事に身体を支えてくれただけでなく、杖を突く音とその上部に付いた鈴の音が、山中での一人歩きを元気付け、リズム良く歩き続けさせてくれた。

そして最後にやっぱり、
無意識に口の中で唱え続けていた
「おん あぼぎゃ・・・」のおかげかもしれない。

ここでもう一度

南無大師遍照金剛!

さて明日はいよいよ徳島市越えの39.6キロに挑戦だ。
同宿の方は炎熱の徳島市内を避け、途中電車で行くらしいが、「あなたなら行ける。」と励ましてくれた。

おばあさんに5時出発をお願いして、早々に寝た。

歩行距離:23.3キロ 宿泊:植村旅館(☆☆)

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8/14 4日目(晴れ~!) 植村旅館~13番大日寺~18番恩山寺~(鮒の里)

早出

朝は4時過ぎに目が覚め、暗い中でごそごそと準備をしていたら、同部屋の方が「明かり点けてもいいですよ。」と言ってくださった。
お言葉に甘え、急いで荷物をまとめて下に下りた。
顔を洗い、宿のおばあさんに送られて出発したのは丁度5時頃だった。

さあいよいよ19番立江寺までの約40キロに挑戦だ。

谷底の川べりに位置する集落にはまだまだ朝の光は届かず、静かに眠っている。
だれもいない舗装道路に、杖と鈴の音だけが響く。


P1000106

県道を下って河野橋で鮎喰川を渡り、さらに下って13番大日寺を目指すが、明るくなってくるのに従って車も多くなり、結構危険だ。
道路の右側を歩きながら、すれ違う対向車に「おはようございます」と口の中で小さな声で挨拶をし小さく頭を下げていたが、それに気付いて会釈を返される方もいた。
ただ後ろから来た車の中に、急に幅寄せしてきたのが2度ばかりあった。
あれは何かの偶然か、それともお遍路をからかいたくなったのか、どちらにしても気を付けなければ・・・

7時過ぎになり、大日寺近くのコンビニでおにぎり2個とお茶とアイスを買った。
ほんとは涼しい店内で食べたかったが、行儀が悪いので暑さを我慢して外のベンチで食べた。
こんな私をコンビニに来る四国の人は、お遍路を見慣れていせいか、あるいは早朝からの人相の悪い遍路姿に警戒するせいか、きっぱりと無視してくれて少し寂しい。
どうやら遍路仲間同士だけが、親しみのある連帯感で結ばれているようだ。

結局大日寺までの11.5キロを、2時間以上かかって歩いた。
まだ今日の予定の4分の1だ。
朝から休みなしで、しんどかった~。

(朝イチでうっかりして、大日寺の写真を撮るのを忘れた。)

大日寺は珍しく県道に面しており、さほど大きくはないがきれいなお寺だ。

境内に入ってびっくり、きのう「へんろころがし」で少しの間、勝手に引いて(後に付いてスピードを維持させて)もらった青年がいたのだ。
なんでも昨夜はこの近くで泊まったそうだ。
焼山寺を出るのは私より30分くらい後だったと思うので、きのうの内にここまで来るとは、さすが若い人は違うなあと感心した。
彼は17番の井戸寺の近くに親戚がいるとかで、今日はそこまでの、のんびり歩きらしい。
相変わらず清々しい青年だ。

大日寺からは、すぐに県道から離れて寂しい遍路道に入る。
道端の仏様達に挨拶しながら再び鮎喰川を渡り、少しややこしい道を14番常楽寺に向かう。
このお寺は流水岩の庭で有名だが、けっこう趣と潤いのあるお寺だ。

P1000110 14番常楽寺(8:26)

P1000111 流水岩の庭

次の15番国分寺まではたったの0.8キロ。

P1000112 15番国分寺(8:54)

国分寺というからには、かつては県庁のようなものだったのだろうか。
立派な山門と伽藍配置が見られるが、大塔あるいは金堂跡なのか、礎石だけが残っている部分があったのは残念だ。
境内には木陰となる木がほとんどなく、暑く乾ききっていて、思わずマカロニウエスタンの決闘場面に砂塵が舞い上がるシーンを思い出した。
また質素な納経所には没落貴族の空しさのようなものを感じた。

初めてのお接待

次の16番観音寺までの1.8キロは大変だった。
宿をまだ決めていなかったので、国分寺を出てすぐ、19番の立江寺に電話してみたが、お盆で宿坊はやっていないとのこと。
あわててその近くの「鮒の里」という宿に電話したら、幸い泊めていただけることになった。(宿の名前からすると、古い宿で鮒料理ばっかり食べさせられそうだが、これが大きな間違いだった。)

こんな電話を道端でしていたのだが、杖を民家の塀に立てかけ、コピーした地図を入れているビニール袋から宿泊施設一覧表だけを取り出し、いらないものは一旦地面に置き、ケイタイは左のポケットから、ボールペンはさんや袋から取り出して(民家の犬に吠えられて)・・・
ということをしていたのだろう。
そこから1キロほど行った所で、突然後ろから来た車に呼び止められた。
窓が開いて、ご夫婦連れの70歳位の遍路姿をした運転者に「数珠落としてませんか?」と聞かれた。
「ああ~っ!」
ない、ない。
左手にしていた数珠がない。
素人遍路の致命的なミス!
落とした人が取りに来るかもしれないと思って、そのまま置いてきたとのこと。
「車に乗せて戻ってあげる。」とおっしゃる。
ありがたく乗せていただいて戻ってみると、やっぱりあの時電話をした場所だった。
歩き遍路は車に乗りたがらないということを良くご存知で(なんと16回も車で廻っておられるらしい。)、そこでお礼を言って分かれた。(本当は乗せていただいた所まで、このまま連れて行っていただきたかったのだが・・・)

と言う訳で約1キロ余計に歩く破目になったが、優しさが心に沁みた1キロだった。
ただ失敗は、お遍路が接待してもらった時にお渡しする納め札を、あわててお渡しできなかったばかりか、逆に赤の納め札をいただいてしまったことだ。
岡山県玉野市田井の横尾様、本当にありがとうございました。
観音寺で、お礼と道中安全のお祈りをさせていただきました。

P1000114 16番観音寺(9:50)

次の17番井戸寺までの道は遍路マークが分かりにくかったが、途中でなんと、初日の7番十楽寺の宿坊で同じだった5・60代のご夫婦が、井戸寺の方から歩いて来られた。
挨拶してお聞きしたら、交通機関などを使い、一部のルートは逆に回っておられるようだ(多分奥様に「へんろころがし」踏破は無理だろうから。)
ほんとに感じのいい、優しそーなご夫婦だった。

P1000115 17番井戸寺(10:40)

砂漠のオアシス

朝5時に植村旅館を出て、やっと井戸寺までの18.8キロ+αを歩いてきた。
予想に反してこのお寺は、これまでのお寺の中でも1・2を争う程立派なお寺だった。
納経所には珍しく、若くてきれいな女性が2人おられた。
こんなに若くて納経帳に立派な文字が書けるのかなと、ちょっと心配したが(どのお寺でも、かなり高齢の方が、素晴らしく芸術的な文字を墨痕鮮やかに書かれる。)、これがどうしてどうして。
なんでも本職は書道の先生らしい。

さて次の18番恩山寺までは、徳島市内を縦断しての16.8キロ。
井戸寺の名前の由来は、弘法大師が湧かせたという「面影の井戸」があるからだそうだが、私には、砂漠を渡る前の最後のオアシス(井戸)のような気がする。
ここを出ると、徳島で遍路をやめて帰るか、それとも一泊余分に泊まらない限り、灼熱の国道をひたすら歩き続けなければならないのだ。

初めてと言っていいほどお寺でぐずぐずしていたので、井戸寺を出たのは12時頃だと思う。
ようやく砂漠に乗り入れる覚悟を決めた。

鎌田の奥さん

最初のオアシスとして、まずは大学の1年後輩で、同じサッカー部だった鎌田(呼び捨てゴメン)が徳島市内で大きな産婦人科をやってるはずなので、そこを目指した。
3キロほど行ったJR徳島線の「くらもと駅」から電話すると、病院の受付のお嬢さんが道を教えてくれたが、なんと目指す病院はほとんど「へんろみち」沿いにあるようだ。
そこから再び2キロほど歩いて、やっと辿り着いたのが「恵愛レディースクリニック」。
5階建ての立派な産婦人科医院だ。
ところがなにしろ産婦人科に遍路姿の男が入り込んだのだ。
いかに四国徳島といえども、皆さんを少なからず驚かせてしまったようだ。

案内されてエレベーターで上がって行くと、1人の普段着姿の女性がいた。
それが鎌田の奥さんだった。
なんでも鎌田本人は出かけているらしくて会えなかったが、
この奥さん、なかなかな奥さんである。
病院では事務長をされているらしく、しっかりされているだけではなく、とても明るく、ご自分の夫や息子達の自慢をあっけらかんとされる。
鎌田は幸せ者だ。
よかったよかった。

ちょっとお邪魔をしてすぐ帰ったが、帰りはしばらく一緒に歩いて下さった。
気持ちの良いひと時だった。

地獄の国道55号線

さてここからである。
今回の遍路で一番大変だったのは。
それでもまだ徳島市内を抜ける眉山沿いの道はにぎやかで気が紛れた。
「二軒屋」で国道55号線に出てからが最悪だった。

国道というだけあって道幅は広く車も多いが、
道の両側に大きな建物がなく、日影がない。

行けども行けども同じ景色。
お遍路はおろか、歩いている人なんて1人も見かけない。
足の裏が道路の熱さで腫れ上がり、熱いのか痛いのか分からない。
かんかん照りの照り返しで、意識は恐らく朦朧としていただろう。

とその時、国道沿いのレストランに停めた車から出てきた二十歳位の女の子が、「これどうぞ」とペットボトルのお茶をくれた。
地獄に仏、いや女神である。

これが初めての地元の方の「お接待」。
驚くと同時に涙が出そうになった。
心から感謝し、「南無大師遍照金剛」を思わず唱えた。

実はこの道ではあと二回「お接待」を受けた。
1回はこのあとしばらくして、がっちりした沖縄系の顔立ちをした男の方から、「これでお茶でも飲んで」と、ごそごそとポケットから出された150円をいただいた。

2回目は、フラフラになってもうどこを歩いているのか分からなくなった時、やっと見つけた勝浦川手前の喫茶店(レストラン?)で。
国道沿いのこのお店は、1階が駐車場で2階がお店。
おばあさんと息子さんとでやっておられたが、
かき氷を食べて出ようとした時、おばあさんが「これ持って行きなさい。」とビニール袋に氷をたくさん入れて下さった。
ありがたかった。
首の後ろや顔を冷やしながら歩いた。
これで生き返り、その後もまだまだ遠かったが、なんとか歩き続ける事ができた。
本当に死なずに済んだとさえ思っている。

四国遍路が、弘法大師が興した真言密教の行の一つに繋がるかどうかは分からないが、
「何らかの力によって生かしてもらっている」と実感できた「お接待」だった。

さて、こうしてやっと18番恩山寺近くまでやってきた。
何とかチャッチャッとお参りを済ませれば、納経所の門限の5時までに次の立江寺まで行けそうだ。

しかし大抵砂漠の向こうには素晴らしいオアシスが待っているものだが、期待は大外れだった。

怖い話

恩山寺に向かう参道は片道1車線の立派な舗装道路だが、その脇に例の赤い遍路マークを見つけた。
悪い予感がしながらも、仕方なしにその幅1mもないような夏草の茂る小道を急いだ。
あたりにはだれもいない。
やっと少し広い所に出たと思ったら、
こんな山門・・・

P1000116_2 18番恩山寺(16:11)

11番の藤井寺もそうだったが、まるで打ち捨ててあるかのような状態だ。
この山門をくぐると、木々に覆われた薄暗い道が続いている。
今度は2~3mの道幅があるが、石ごろごろの急勾配。
掃除や整備された形跡がない。
例によって道の脇には小さなお地蔵様や墓標のようなものがたくさんある。

気味が悪~い・・・

息せき切って登っていた時、
すぐ左斜め後ろで、だれかが「はあっ」と息を吐く音がした。
「良かった。だれかが登ってきたんや」と思って後ろを見たら、
だれもいない・・・

うわーっ!

あとはもう「南無大師遍照金剛」を唱えっぱなし。
絶対に気のせいではない。
大きな吐息だったのだ。

いったいあれはだれだったのか・・・

本堂や太子堂・納経所などはたいそう立派なのに、なぜ遍路道や山門を整備しないのか、はなはだ疑問である。
怖かったが、「旧遍路道を歩く」というのもマイルールなので、帰りもその道を大急ぎで下った。

ちなみに宿でそのことを他のお遍路に話したのだが、だれもその道のことを知らなかった・・・???

さていよいよラストスパートに入らなければならないが、4キロ先の19番立江寺に5時までには着けそうにもない。
仕方なく今夜の宿の「鮒の里」まで行くことにしたが、この宿は立江寺のすぐ手前にあり、結局この日は40キロ近く歩いてヘロヘロになって到着した。

鮒の里

着いてみるとログハウス風のなかなかしゃれた建物だ。
中ではもう皆夕食を食べている。
大急ぎで風呂に入ったが、これがなんと家のすぐ外に作ってある小ジャレた半露天風呂なのだ。
なぜかお湯が溢れんばかりに張ってあったので、シャワーで済ませた。
同宿の方は皆お遍路さんで、熊本の元自民党県連会長、一組のご夫婦、60歳位の自転車で回っておられる
元英語教師、それと素泊まりらしい若い元自衛隊員となぜかスペイン人の青年、という具合に多士済々だ。
おいしい料理(鮒料理ではない)もいっぱい出していただき、皆さんと楽しい話ができて大満足。

とりわけこの宿の良いところは、とびきり親切で話の面白いご主人だ。
素泊まりの2人も、簡単な夕食・朝食に翌日のお弁まで貰っていたし、お盆で休んでいる宿が多い中、スペイン人の青年には次の宿の予約までしてあげていた。

決して豪華ではないが、最後の最後に最高のオアシスが待っていたのだった。

歩行距離:39キロ 宿泊:鮒の里(☆☆☆☆☆)

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8/15 5日目(晴れ) 鮒の里~19番立江寺~徳島~大阪 

スペイン人の菅笠

「鮒の里」からほんの数百メートルにある、今回の区切り打ちの最終目的地19番立江寺にお参りした。
途中、宿を先に出たスペイン人の青年に出会った。
大きな体に小さな安物?の菅笠(多分観光客用のあまり実用的ではない代物で、壊れたのを「鮒の里」のご主人が修理されていた)がいかにも不釣合いだ。
彼はこれからまだ10日以上歩くというので、かわいそうになり交換してあげた。

P1000118 19番立江寺(7:00)

さっそくの「お接待」

このお寺はそれほど大きくはないが、しっとりとしたいいお寺だった。
驚いたことに、朝からさっそくおばあさんに「お接待」をいただいた。
小さな巾着(お賽銭袋)だった。
たくさん持っておられ、どうも朝からお遍路さんに配っておられるようだ。

区切り打ち終了で気が抜けた私に、「ありがたいという気持ちを忘れるな」とお大師様に言われているようで、はっとした。
今回初めてちゃんと納経札をお渡しし、おばあさんに「南無大師遍照金剛」を唱えることができた。

早めの帰還

立江駅は単線の駅で、のどかそのもの。

P1000121

7:58の電車で、苦労して歩いて来たところを、たったの20分程で徳島に戻った。

なんとも便利で空しい文明の利器である。

徳島駅前の「ド・トール」で時間をつぶし、帰りは9:10の徳島バス。
11:45にはもうハービス大阪に着いていた。

2つの時代を、2つの文明をこの5日間で過ごしてきた気がする。

立江駅を出てからというもの、今も歩いている多くのお遍路さんに置いていかれたような気がして、後ろ髪を引かれる思いというか、すぐにでも戻りたい気持ちで、もうこの冬の遍路を考えている・・・

歩行距離:0.6キロ

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2007年暮れ 真夏の次は、いきなり冬なのだ! 2007 12/28~2008 1/6

あっという間の4ヶ月半が過ぎ、また遍路ができる時期がやってきた。

区切り打ちのできる時期は大体世の中も休日で、宿も営業していないところがあり、何と言っても宿の確保が先決だ。

心配で数ヶ月前から予約の電話を入れてみたが、民宿以外はてい良く断られる。

きっと正月はかき入れ時で、遍路一人で一部屋を占領されると効率が悪いからだろう。

それも已む無しだが、夏とは違って、やはり修行の足りないオジサンには野宿はできないのだ。

1日の歩行距離と宿の位置、それに限られた休みを目一杯使って歩くためには、最後はできるだけ駅の近くのお寺で終わりたい(室戸・足摺などは、鉄道が岬近辺まで通っていないし、区切り打ちの場合は、前回の最後の札所からもう一度始める事になっている)ので、何度も計画を立て直してみたがうまくいかない。

1ヶ月前にダメモトでもう一度電話してみたら、以前満室だと断られた「道の駅 宍喰温泉」が嘘のように簡単に予約できた。

そこで23番薬王寺(宿坊で朝の勤行を経験したかった)と宍喰温泉を固定し、夏の経験から40キロでも歩けそうだと判断して、今回の、室戸岬を2日でクリアという、いささかハードな計画となった。

また冬ということで服装の心配があったが、冬のサッカーで重宝していたので、すべてミズノ製で揃えた。

下着は、下はドライベクター(防湿力+即乾力)のトランクス(モンベルの股ズレブリーフではありません!)に、上はブレスサーモのハーフジップ・タートルネックシャツ。

上着には、やはりブレスサーモのウィンドブレーカー上下を着た。

このブレスサーモの衣類は、汗をかくと、その水分で発熱してくれるスグレモノで、結局上下とも下着の上に一枚着るだけで(袖なし白衣は除いて)済んだ。

タイツも持って行ったが、股や膝の裏が痒くなり、1日でやめた(子供の頃から、素肌にウールは苦手なのだ)。

ダウンジャケットは徳島まで着て行ったが、バスの中で暑くて気持ち悪くなり、早々にしまいこんだ。

ゴアテックス製の手袋も、金剛杖を握る手が、雨や雪で濡れると冷たくて困るだろうと持って行ったが、結局一度も使わなかった。

装備はなぜか10キロ弱にもなり、余計な物のわずかな重さの積み重ねが、やがて肩に食い込むことになるのだった。

さて前回の区切り打ちの反省を含め、今回の遍路のテーマは、「空や海や道をよく見ること、よく感じること」だ。

目的地に着くことだけを目標にすると、心が内側にこもってしまい、それではもうどこを歩いても同じで、ただマラソンしているようなものなのだ。

心に余裕を持って、四国の自然の中で、胸一杯に深呼吸してきたいと思うのだ。

さあ新しい菅笠に紐を付け替え、納め札にも住所などを書き込んだ。

いざ準備完了なのだ~っ!

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12/28 一路徳島へ

朝からそわそわしている。

仕事もそこそこに?上下ウィンドブレーカーの上にさらにダウンジャケットを着込み、なぜか菅笠・山野袋・金剛杖を隠すようにして(恥ずかしいもん)、大阪駅前よりJRバスにて一路徳島に向かった。

心配した道路の渋滞もなく、11時頃には徳島駅前に到着した。

初日のお宿は、駅前の「ホテルサンルート徳島」。

駅前広場に面しており、フロントのお嬢さんが金剛杖を目ざとく見つけ、遍路宿でもないのに杖先を洗ってくれた。

本当はここで、修験者然とした苦みばしったシブイ表情をしなければいけないところだが、もうこれだけでオジサン・感激ィ~!

ああやっぱり四国はええなあっと、ニヤツク表情を抑えてチェックインを済ませ、大急ぎでお目当ての大浴場+露天風呂に飛び込んだ???

今回の区切り打ちでは、贅沢にも、ホテルに3泊する予定だ。

お目当てはすべてオ・ン・セ・ン、温泉なのだ~っ!

と、いささか初っ端からテンションが高過ぎるとご不興の向きもあろうが、正月休みでもあり、どうかご容赦願いたいcoldsweats01。

ふ~~っ 極楽 極楽 ・ ・ ・

温泉ですっかりぬくもった後は、缶ビールで1人乾杯!

オヤジには酒とオンナ?いや失礼!オンセンは付き物なのだよ。

そんな極楽オヤジの上で、徳島の夜は今日も更けゆくのであった・・・

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12/29 1日目(曇りのち晴れ) JR徳島駅~立江駅~19番立江寺~22番平等寺(山茶花) 

初日は気持ちが高ぶるぜよ?

朝は5時前に目覚めてすぐシャワー、昨日ホテルの下のコンビニで買っておいたパンとジュースで朝食、意気揚々とホテルを出発した。

徳島駅からJR牟岐線阿南(海部)方面(下り)、5:47の始発で立江に向かった。

懐かしの無人駅に着いて小さな駅舎に入ると、登山家風の、少し汚れた感じの人がベンチに座っている。

話を聞くと、ここで野宿(?)したとか。

この駅舎は扉が閉め切れて、野宿には具合がいいそうだ。

何でもおじいさんが結構有名なお遍路だったとかで、そのことを知ってから彼も遍路を始めたとか。

それにしても真冬に野宿遍路をする人が居ようとは、世の中すごい人がいるもんだ・・・

話は弾んだが、余りのんびりしてられない。

もう一度トイレを済ませ、遍路装束になって「お元気で!」と挨拶をして出かけた。

アスファルトに、金剛杖を突く乾いた音が響いて懐かしい。

まずは前回最後にお参りした立江寺に寄り、再び来れた事へのお礼と道中の安全を祈願。

それにしても、この晴れがましい照れくさいような気持は何だろう。

しんどいことをしに行くのに、お遍路するって変に嬉しいし、変に楽しいのだ。

きっと茂木健一郎風に言えば、しんどさを乗り越えて、どこそこまで周れたという達成感・成功体験が、脳内にドーパミンを放出させ、それによる快感を再び得るために、また歩きたいと思ってしまうのだろう。

さて前回の区切り打ちで最後に泊まった、この近くの「鮒の里」に挨拶に行こうと思っていたのだが、どうも道を思い出せない。

また既にマラソンモードになっていたためか、気持ちが急いでいて、寄り道したくないという気持ちにもなってしまう。

お土産を買って行こうと思っていたのに、結局忘れてしまったし、どうしようもない不義理男だ。

一応、近くの赤い橋のたもとで、大体の方向に向かって手を合わせておいた。

しばらく行くと、空は曇ってはいるが、懐かしい田舎の風景がそこにあった。

P1000127 朝の冷気が清々しい

木造のバス停にあった、こんな看板も嬉しいもんだ。

P1000129

28号線を4キロほど行った突き当りを右折、しばらく行くと、今度はこんな看板があった。

P1000130 「いやしのみち」という言葉の、優しい響きに癒されますゥ。

さらに15分程22号線を進むと、何と今年の夏、灼熱の徳島縦断中に渡った、あの勝浦川に突き当たったではないか(たぶん同じ川の上流なのだろう)!

しかし川はこちらの思い入れを軽く無視して、あくまでクールに流れている。

P1000131 懐かしいな~・・・。

角のローソンで昼ご飯用のおにぎりを買い、川沿いに左折。

16号線をさらに進む。

P1000133 道路ミラーでパチリ!

生比奈ではこんな看板を見つけた。

P1000134 猪の剥製が2匹、逆さまにぶら下がっているところが、いかにも獲物という感じ。(合掌)

そのまま直進。

進行方向右側のお饅頭屋さんでは饅頭を3つ買った。

民宿「金子や」さんに入る道が分かりにくかったが、なんとかクリア。

「金子や」さん脇の細い道を20番鶴林寺へと登る。

P1000135 いきなり急勾配なのだ!

P1000137 この山あいの向こうから歩いてきました。

30分程で

P1000140 こんな感じ

さらに30分程で

P1000141 鶴林寺の山門が見えてきた。(10:05)

焼山寺の遍路ころがしに比べ距離は短かったものの、結構可愛がってもらいました。フウッ・・・

鶴林寺では、すでに2人のお遍路さんが休んでおられたが、小生は急いでお参りを済ませ、饅頭で栄養補給して、大師堂前から下りる細い道を、次の21番太龍寺へと向かった。

P1000143

しばらく下っていくと、山中に突然こんなプールが現れた。

P1000144 孤独なプール

かなり汚れているし、プールサイドがやけに狭いぞ!

周りにも人家が少ない。

夏には泳ぐ人がいるのだろうか???

これも故郷創生の1億円か何かを利用して作ったのだろうか。

「何か周りと不似合いな感じがするなあ・・・」と独りでブツブツ。

でも四国の自然は豊かで、途中キィウィの様な実を見つけたりして、一人歩きは結構楽しい。

P1000145

そうこうしているうちに、水井橋まで下りきった。

鶴林寺から450m下り、これから太龍寺まで470m登るのだ。

P1000146 想像していたより、川も橋も大きい。

鉄砲

この先の山に分け入るのだが、登山道に少し入った東屋付近で、向こうから誰かが現れた。

逆光でよく見えないが、何か変な格好。

棒みたいな物を肩に掛けている。

近づいて驚いた。

棒みたいなものは鉄砲だった。

一瞬たじろいだが、愛想のいい笑顔をされてほっとした。

なんでも、猪や鹿を狙っているとのこと。

「今日持ってるのは小さいやつ。」とおっしゃって、頼みもしないのに鉄砲をみせてくれた。

「え~っ!この辺タマ飛んでくるかも知れんのぉ~!!!」と一瞬マインドトーク。

これ程近くで現役の鉄砲を見るのは初めてだが、何ともナマナマシクて少し怖い。

それにしてもなんと軽装。

ゴム長靴は履いておられるが、その辺を散歩するような歩き方だ。

こっちが気合が入りすぎているのかも・・・

話し好きの方で、お遍路の遭難を3回知っているが、最近も3人の捜索をしたとか。

え~っ!迷たらどうしょう・・・

ずーっと誰も歩いてないし・・・

明日のニュースに出ている自分が目に浮かぶ。

「大阪の遍路、消息を絶つ!」なんて・・・

でも、一人歩きは用心深くなるから大丈夫とのこと。

その方も何度も遍路をされているそうで、いろいろとお話を伺った後、「がんばって!」と励まされて分かれた。

ちょっと心配・・・

でもそこから1時間弱で21番太龍寺の山門が見えてきた。

P1000147 (12:38)

保健室のうら若き先生

と、この写真中央の石段手前に差し掛かった所で、1人の若い女性に声を掛けられた。

日頃、若い女性に声など掛けられたことのないおじさんには驚きだが、軽装のこの人、平気で話してこられる。

どうやら小生の遍路姿に安心されたようだ。

実はここまで登って来るのにかなり消耗していたのだが、この人歩くのが早い!

見栄を張ってあくまで平静を装って歩いたが、石段は容赦してくれず、膝が悲鳴を上げそうになった。

本堂と太子堂を別々にお参りをしたが、一人旅の女の人はな~んか頼りなげなものだ。

納経を済ませ、「この近くに、弘法大師の像が絶壁に座っているのがあるので、私はそっちに行きます。」と言うと、この人なんと一緒に行くと言われる。

それじゃあということでご一緒することになったが、その途中、彼女が小学校の養護教員をされておられることを知り、小生もまた小学校の校医をしているので、保健室つながりですごく驚いた。

さて、ロープウェイの乗り場から少し歩いた岩の上に、お大師様がこちらに背を向けて座っておられるのだが、何と彼女がいきなり2メートル程のその岩を登り始めたのだ。

P1000148 お大師様の後姿

若いということは、驚くほど大胆。

あっと言う間にお大師様の横まで上がってしまった。

小生もとやってみたが、怪我しそうでやめた(実はしんどかった)。

帰り道では、彼女がやっておられる音楽のこととか、いろいろ話ができて楽しかった。

P1000150 太龍寺の静かな石垣

駐車場でお別れしたが、保健室の美人先生、レイカさんに幸あれ!!!

その後は山道を下り、P1000152

民宿「阪口屋」さんのあたりで28号線に出る。

P1000151 可憐な野いちご

P1000154 ハート型の葉っぱ

28号線を南に下った突き当たりに(195号線)暗い林があり、その奥に大根峠への上り口があるのだが、非常に分かりにくい。

P1000156 上り口の杖、不気味?

なにしろ真冬の午後3時過ぎだ。
人っ子一人いない暗~い山に分け入るのは、ちょっと勇気がいる。

あまり高い峠ではなかったが、12番焼山寺への遍路ころがしの後の玉ヶ峠のように、この大根峠も、疲れた足には結構きつかった。

ようやく細い山道から抜け出すと、そこには大きな牛舎があり、その横から、やっと人の通れる(?)舗装道路に出た。

そこを左に歩き続ければ22番平等寺に着くはずだが、さっぱり遍路マークが見つからない。

たまたま出合ったおじさんに聞いてみると、この方向で間違いないようだ。

この方、お接待にと、持っておられたみかんを1つ2つと下さり、4つでは数字が悪いと言って、結局6つもいただいた。

お気持ちが、ありがたくて重い・・・。

でもう後少しとがんばって、なんとか5時前に平等寺に着き、納経を済ますことができた。

この日の宿は、ほんとに平等寺の隣の山茶花さん。

門前の食堂という造りだが、部屋は広くて新しく清潔だ。

しばらくして、小生と同年輩のお遍路さんがやって来られたが、この方は東京からだそうで、3日後の室戸荘でも再び同宿になった。
とても優しい方だった。

宿の料理にも大満足。
2人ともビールと日本酒を少し飲んで話ははずんだ。

おかみさんは年2回海外旅行をされるとか。
趣味で遍路宿をやっておられるような余裕が心地よく、問題なく五つ星なのだ。

歩行距離:30.7キロ  宿泊:山茶花(☆☆☆☆☆)

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